ぐずにっき

生きづらさを減らすための脳内作戦会議&実践

無力感にさいなまれても、無力なことには変わらない。「報告79日目その1」

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「無力感にさいなまれても、無力なことには変わらない。なら一個でも段ボールを運んだ方がいい」
いとうせいこう「『国境なき医師団』を見に行く」インタビューより



前回ブログを一日三回更新するという自分にとってはハードルの高い課題をクリアして、もうしばらくPCに触りたくないというくらいにへろへろになり眠りについて翌日からの反応を楽しみにしていたが反応薄く、愕然とする。まぁ、あんたの好みなんて知らないよとか好きな音楽や映画の紹介なんてありふれてるだろとかコメントが雑とか反省すべき点はありますけどね。。。



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年が明けてから仕事でうまくいかない事が続き、落ち込んでいた。


自分が良かれと思ってやったことが相手にとって負担になっていたり、周囲の人間関係の不穏につながっていたりして、なんだか自分の言動に自信がなくなった。より萎縮してしまう。失敗した分挽回しなきゃと嫌な事も嫌と言えなかったり我慢したりして。

世話になっているから、金をもらっているから、と人から好かれたい一心の奴隷根性が出てしまう。空気を読む、相手の気持ちを読む事が苦手だ。ルールはなくて、場数こなして、その時その場で聞く内容、話題は合わせることが必要になる、が、つい沈黙が怖くて余計なことまで話してしまってしかも会話は続かない。人と接する仕事は向いてない・・とまた思う事が増えてきた。


失敗したらそこから学べばいい。
頭ではわかっているのだが、心の理解が追い付いていない。



活字中毒の私にとって文字が頭に入らなくなったらそれは調子が悪いサイン。
就職の手助けをしてもらった方に電話する。


20分ほど話し、少し落ち着いたのでまた図書館に行き、言葉かけ、質問の仕方に関する本を読んでみる。
文字を追える。もう少し頑張ってみよう。


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早朝のゴミ拾い。冬の朝陽は綺麗。


くよくよしつつも頼まれた仕事はなんとかやり遂げてはいる。
投げ出さない事でギリギリ自分を許してる。自分を投げ出したい時は酒が飲めないからヤケ食いで意識を濁らして強制終了。二日酔いではなく胃もたれで目が覚める。昔に比べたら量は減ったが。
(ひどいときはファミリーパックのチョコレートにアメリカサイズのポテトチップスを毎日食べてた。飲み物はコーラと缶コーヒーという肥満まっしぐらなメニュー)


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「あなたに渡したいものがある」とお世話になっている先輩に呼ばれて、お宅に伺うと白い封筒を手渡された。


「この封筒の中には今年1年の指針になるような事が書かれているの。わかりやすく言えばキリスト教版のおみくじね。私は毎年ひいているんだけど、よく当たるの。あなたの事を思い浮かべてひいてきたから開けてみて。」

ちょうど2018年の目標設定をちゃんとしようと思っていたところだったから、目標(指針)らしきものの影が見えて少し戸惑う。が、恐る恐るその指針とやらを直視する事にした。


指針、出て来い。

封筒の中の一筆箋にはこう書かれていた。

「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。 マタイ福音書五章七節」

あわれみ?
あわれみという言葉に暗いイメージを持っていた私は正直複雑な表情をした。

「それって凄く良い事よ!」
と、先輩は興奮気味に聖書をめくる。


先輩曰く、ここで書かれている「あわれみ」とは「慈愛」の意味らしい。
「慈愛」。マザーテレサを思い浮かべる。そんな立派な人ではないなぁ。ただ、一つこじつけるとするならば苦しんでいる人がいたら、痛みを見て見ぬふりはしない事を心がけているくらいだ。「自分が相手の立場だったらどうする」「今の自分には何ができるのか」は考える。「明日は我が身」という意識。


ただ、この生き方は自分以外の人生を悩みを抱えるというしんどい生き方でもある。  

(続く)