カーネーションは春のBGM 「報告84日目」
風馬君みたいに下心のない言葉を使いたい。
(下心…ちやほやされたいと思う気持ち)
新聞が好きだ。毎日地元紙を読んでいて、特に投書欄が好き。小さな優しさや悲しみが愛しい。
以下いばや通信より相変わらずキレキレの坂爪さんの言葉たち。
ダサさ回避に命を懸ける。これが自分だと思っていたものがより一層の広がりをもって溶けだしていく体験。
恐れが恐れと重なりあう敬虔な瞬間、変化の醍醐味はそこにある。
やりたい事は絞り出すものではなく、泉のようにぽこぽこ湧き上がるもの。大事なのは交換より循環。
ひとりの人間がやるべき事を見つけた時、そして、それに向かってまっすぐに突っ走る姿を周囲の人間と共有したとき、きっと奇跡は起きるものだと信じます。
同じ時代を共に走っているのだという実感があってこそはじめて生きている実感を得ることができるのだ。
生きるため、生活のため、死なないために生きるのではなく「生きたいと思わせてくれるもの」との出会いを誰もが求めている。
紙に吐き出す事は神に吐き出す事なのかもしれない。自分をいとおしむことは人々の幸せに関わる事だと思う。
悲劇の中にある喜劇性。喜劇の中にある悲劇性。そういうものをユーモラスに描いていくと世界には奥行きが生まれて僕らはその中に大切なものを感じ取ることができるようになります。
どうも心のしまい場所がわからない夜は情報に寄りかかってしまう。
言葉はどんどん流れていく。寄りかかっていたはずの言葉が溢れて意識がうずもれる。
何を知りたかったんだっけ。ひっかかった言葉は携帯にメモしている。そこにヒントがある気がして。
踏み潰された椿は犬の糞みたいだ。地面に落ちた途端美しさを失う。美と醜は紙一重だ。高層ビルに住んだら同じ人間でもぞろぞろと蠢く蟻の集団を見るようで気味悪く感じてしまいそうだ。
森になりたい。小さな事でイラつく私に言いたい。木を見るな、森を見よ。ふくよかな心を持て、と。
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0円ショップで残ったゴルフパターを「譲ります」と出品したものの反応なし・・。
弱ってくると誰かの名言や美化された過去にもたれ掛かりたくなる。そんな自分に喝を入れる。
思い出おばさん、ノーヒューチャー!!!だ。
過去や未来の話でもなく、今の話をしよう。
振り返って今どうするのか。批評家きどりはもうやめて、知ったような気にならない。観念的な応酬は疲れる。無理やり現実を壮大な哲学にこじつけずに、周囲の知識や思惑に流されず自分の気持ちを見つめたい。
ちょっと内面に意識向かってますが、ちょっと更新滞っているんでとりあえずこのへんで。駄作でも形にしなきゃそれ以下だよなぁ。
今日のBGM カーネーション 「garden city life」
春はカーネーションの少し憂いのある直枝さんの声とpopなメロディがぴったりだ。
予定はないけど、いつか、結婚式のようなものをするとしたら絶対この曲をBGMにしたい。あと、ベタかもしれないけど、the ピーズの「やっとハッピー」を相手の人に歌ってもらえたらたぶん泣く。という想像をしてよく現実逃避している。