ぐずにっき

生きづらさを減らすための脳内作戦会議&実践

ボーナストラック 報告番外編

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昔CDに長い空白の後、ジャムセッションみたいなラフな演奏が入っていたじゃないですか。あんな感じの事を書こうと思う。

休みますと書いた後に急に書きたいことが思いつく矛盾。もう、休むとか言わずに書きたい時に書けばいいんだと思うようにした。アメブロに集中しようと思ったけど、地味でダウナーなつぶやきは、はてなブログがよく似合う。

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画面の先にシェリーがいるように、じっと見つめて歌っていた元同僚は失踪した。

いつになれば俺は這い上がれるだろう
どこに行けば俺はたどりつけるだろう

カラオケ画面の尾崎のように瞬きせずに歌う彼は戦っていた。

彼はシェリーに出会えたんだろうか。

尾崎の映画が来年公開されるニュースを見て思い出した。


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バファリンの半分はやさしさで出来ている、という名キャッチコピーを
「やさしさの半分はOOで出来ている」という題目で大喜利にしたら盛り上がる気がする。

私は「やさしさの半分はかなしみから出来ている」と思う。
悲しくて辛くてやるせないやりきれないそんな痛みがわかるからやさしくできる気がする。

ちなみに私の半分はかなしみでできている。哀しみ。苦み。

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あいつが気に入らない。
好き勝手にしている。
俺は私は頑張っているのに。

自分の弱さから目を背けたいから他人を攻撃して正当化する。

頭が悪い、体力がない、年だから、と言い訳して現状に甘んじてるくせに文句ばかり言って結局自分の評価を下げている事に気付かない。

みんな暇なんだな、と思う。そんな事言ってる間にもっと動けなくなっていくのに。

いつまで過去と比較しているんだ。
過去は戻ってこない。
確かな感触を覚えている過去より不確かな未来の方が怖くて身動きできないのはわかる。(ニュースは未来の不安を煽るし)
でも、動けないのを何かのせいにするのは大人気ないと思う。

結局は自分なんだよ。
文句言う暇を自分を満たす時間にしてほしい。

文句や不機嫌をまきちらすのは公害だ。

・・・・という自分のポリシーが時に文句を言いたい放題の人(おばさん率高し)に対する苛々に繋がる。試されてる。まぁこれも嫉妬なんだろうけど。クローズドな場なら文句もアリだとは思うんですけどね。

厭世的な気分になる。

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週末の雨の繁華街、湿度から逃げて散らばる人々に向けて一人の女性が原発被害について声を枯らして訴えていた。反原発と書かれたプラカードを持って彼女は一人繁華街のアーケードのど真ん中で声を上げていた。

女が一人繁華街で声を上げるのはとても勇気がいることだ。自分の哀しみがちっぽけに思えるくらい彼女は悲しみを抱えているように見えた。そして辛そうだった。三島由紀夫みたいに割腹自殺でもしたらどうしようとハラハラしつつ胸が苦しくなって逃げるように去った。何もできなかった。私の敵は私です。

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そういう己の小ささを噛み締めた上で優しくなりたい。
絶望に殺されず、殺されてたまるか馬鹿ヤロウ、
もっと良い思いしなきゃ、成仏できねぇよ!
となんだかんだで生きている。

敵がいれば味方もいて、味方を増やして革命を起こしてしみったれた絶望なんて吹き飛ばしてしまいたい。

文句を言うなら、まずは革命の音を鳴らせ。

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続く。