被災
所謂と書いたのは、大きな被害がなかったからだ。
家具、家電が倒れて壊れたり、壁にヒビが入ったりはした。
だけど、家族は無事だし、すでにライフラインは復活したし、家だってまだ住める。
強烈な引力で日常は戻りつつある。
ドラッグストアは賑やかだ。
でも。(だけど、とかでも、が多い私は典型的な卑屈人間だ)
たくさんの品々の前に立ち尽くす。
これで本当に良いのか?
違和感がぬぐえない。
日常に戻ってよかったね うちは被害が少なくて幸せだね
でいいのか?
確かに日常だって大事だし、経済だって回らないだろうけど、
明日は我が身だという意識が低いんじゃないのか?
学んでないような気がするのだ。大切な事に気づいてない気がする。大きな忘れ物をしている気がして落ち着かない。
東日本大震災の後、危機感が募って関東から熊本に帰って来た。
熊本で二度目の被災。益々危機感は募る。この経験は何のメッセージなんだろう。
何が学べるんだろう。どうしたら前向きな結果に、未来につながるんだろう
とない頭をひっかきまわして理想と現実の乖離に苦しくなって布団から出られなくなったり。そう言うお前はナンボのもんじゃいといった自己批判が脳内でぐるぐる。
結局はやるしかない。やりたいことをやるしないんだろう。批判にのたうち回りながらもなりたい、目指す自分や未来に向かって暗闇の砂浜を這っていくしかない。