ぐずにっき

生きづらさを減らすための脳内作戦会議&実践

雅楽を聴く「報告16日目」

f:id:guzuni:20170405102640j:plain

ジェラートの専門店に行った。運営は障害者施設で、有名なフードコーディネーター、デザイナーの監修の元、昨年オープンし、メディアで何回も紹介されている。お洒落な空間、お洒落なメニュー。確かに美味しい。工房で作っている利用者さんの絵を基にしたカラフルなタイツやレギンスなども販売している。可愛い。

お洒落、可愛い、美味しい。
しかしなんだか物足りない。

人が見えないのだ。
障害当事者が前に出ていない。

美味しい、お洒落なお店ならいくらでもある。お店にまた通いたくなるかは結局人だ。そこで働く人々の人柄がお客さんにとって魅力的か。

ただの飲食店なら言うことはないが、障害者施設が健常者のルールで、普通の飲食店を目指す事に私は限界を感じる。稼ぎたい、一般企業での就労を目指したいなら別だが、まずは障害者が健常者の日常の中でその人のペースで、生き、存在する事(平たく言うと社会参加)から始めないと障害者、健常者の見えない壁は段々厚くなるばかりだと思う。

この店が美味しさをもう少し落として営業日を少なくしてもいいからもっと人のいる町中にあったらいいと思う。日常の買い物の選択肢に入るには通いやすさは大事だ。(この店は車じゃないと行けない場所にあった)

偉そうに書いたが、それは私が8年半障害者施設で働いてきたから思う事だ。私が以前働いていた団体には駅前にリサイクルショップがあり、地域の人も入りやすいようにするため何かと工夫した。上手くいかない事が多かった。ダサかった。お洒落じゃなかった。

この店はお洒落で、福祉と関わりのない人も入りやすい。そして美味しい。そこをクリアするだけでも大変なのはわかる。金もかかっているだろう。

ここからだと思う。これから、作っている利用者さん達の個性をどうアピールするか。人を見せていくか。人はお店の顔なんだから。

ああ、偉そうだ。好きだからあれこれ言いたくなる。他人事じゃないから気になる。本当自分事。明日は我が身。今の世に生まれたら私は発達障害だと言われただろうと思う。いや、今でもそうかな。診断受けないけど。配慮の名の下、壁ができてしまいそうで。(病名がつく事で楽になる人もいるのであくまで私の意見です。)


今日の初体験⑯雅楽を聞く。

役場に雅楽演奏会のポスターが貼ってあった。なんと元宮内庁の楽団長が3人も来るという。しかも無料。これは行かねばと会場の益城文化会館へ向かった。

f:id:guzuni:20170405113459j:plain



f:id:guzuni:20170405223759j:plain

益城文化会館はぱっと見綺麗だが、裏に回るとまだブルーシートが張られ、地面の隆起が大きい。

f:id:guzuni:20170405223935j:plain

文化会館の中は綺麗だった。式は第一部が復興祈願祭.
神事が、始まった。

f:id:guzuni:20170405224257j:plain

御祓い→神様を招く→お供え物を奉る→祝詞(復興の願いを神様に伝える)→舞を奉る→代表者のお参り→お供え物を撤収→神様に戻ってもらう

という流れ。一つ一つ、立って礼をしてでバタバタした。祝詞は念仏より、現代の言葉が所々入っていて聞きやすかった。

第二部が、雅楽演奏会。演目のうち、越殿楽(えてんらく)はなんとなく聞いた事があった。正月に神社で流れていたような気がする。面白かったのは元宮内庁の方々との対談コーナー。雅楽を演奏する方を楽師(がくし)と呼び、代々薬師は世襲制。これにより、平安時代から形を変えずに雅楽のクオリティが維持されてきた。そして楽師は海外からのお客様が来た際には西洋楽器での演奏もするのだという。知らない事が多い。楽器の手入れ、着物の管理なども行うそうだ。伝統を守るって大変だ。全く憧れないなぁ。不器用とか言ってられないわけで。

対談の後は舞楽。舞いだ。ベトナム、中国、韓国が、ミックスしたような感じ。衣装は派手だが、動きは小さい。細かい手先、足の動きが続く。思っていたよりは地味だった。

あっという間の3時間。イマイチ良さがわからなかったが、日本文化の勉強になった。自分たちの文化って意外に知らないよなぁ。特に日本はいいとこどりのなんちゃって信仰が多いし。仏教神道キリスト教もごちゃまぜ。最近、スーパーでイースターに合わせたお菓子が売っていたがあれもそのうちハロウィンみたいに浸透するのか?微妙。

追記
昨日加川良さんの事を書いたら、今日加川さんが白血病で亡くなられたのを知った。ご冥福をお祈りします。

youtu.be


今の時代に「教訓」は切実に聞こえる。逃げるが勝ちだ。まぁ色々と障害物だらけだけどね。