ぐずにっき

生きづらさを減らすための脳内作戦会議&実践

ロックンロールは続いていく。~私の沼~

今週のお題「私の沼」 フラワーカンパニーズ沼。

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初めてフラワーカンパニーズ(以下フラカン)を知ったのは1998年、私が14歳の時だ。フラカンは音楽番組「HEY!HEY!HEY!」で、「ヒコーキ雲」を歌っていた。水兵さんの格好をしてかわいい感じで登場、黄色い声援。(だったと思う)MCの二人とおどおど喋っていたトーク部分とは正反対に伸びやかで甲高い圭介さんの声に惹かれた。(余談。けっこうこの放送を観ていた人がいた人がいて、ファンには不評だったとネットで最近知る)すぐに「ヒコーキ雲」が収録されてるアルバム「マンモスフラワー」を聞いた。が、「ホップステップヤング」以外はいまいちぐっとこなくて、いつの間にか忘れてしまった。

 

10代後半はエレファントカシマシthee michelle gun elephantブランキージェットシティに夢中だった。(当時の音楽好きの10代は大抵そうだったと思う)大好きだったダイノジ大谷さんがフラカンを激押ししていたので当時の最新アルバム「発熱の男」を聞いてみたが、手首を切って血をなめたとか歌詞が生々しくて重く感じてしまった。ストレートすぎて困った。悩みを悩みのまま出され、現実を突きつけられた。現実を忘れたくて音楽を聞いているのに、現実を突きつけられるとなると受け入れられなかった。ダイノジのDVD「俺道」に「馬鹿の最高」が使われていてその曲は好きだったけど。
2002年にフラカンのメジャー時代のベストアルバムが発売された。これはポップな曲が多かったから聞きやすかった。「ああ今夜も空振り」や「LOVE ME DO」や「アイアムバーニング」など。


20代。当時愛読していた音楽フリーペーパー「juice」に圭介さんが「30代の爆走」を連載していた。デパートのトイレが大好き、とか書かれている事が日常的で同じ世界に圭介さんは暮らしているんだなと当たり前の事だけど親近感を覚えた。ちなみに、後に本になった「30代の爆走」について友部正人さんが素晴らしい書評を寄せていたので紹介します。私の言葉の数千倍詩的でかつ的確に魅力を伝えています。

【書評】鈴木圭介:三十代の爆走【ブックレビューサイト・ブックジャパン】

 

トップの写真は「juice」の表紙を日記に貼ったもの。
しかし、最新作の「世田谷夜明け前」もまだピンとこなかった。名曲「深夜高速」も収録されているが、当時の私には「生きててよかった、そんな夜を探してる」は恥ずかしかった。そんなド直球の事を歌詞にするくらい圭介さんは追い込まれているのかと心配になった。30を過ぎても変わらずに七転八倒し、愛されたいとか寂しいとか空しいとか薬に頼ってしまうとか己の弱さを晒し、叫び、追い求める。この先には破滅(圭介さんが歌えなくなる、バン解散)しかないような気がして文章は好きでも歌は聞けなかった。


30代。フラカンがメジャー再デビューをして曲を聞く機会は増えた。どんずまりの中、どうしたらいいんだ!とじたばたしてたら実は先に進んでいて、評価もされていた事がメジャー再デビューで伝わってきた。バンドが続きそうだとほっとした。

決定的だったのはラジオで「ロックンロール」を聞いてからだ。運転中だったが、あまりに曲の世界にぐいぐい引き込まれるもんだから慌てて停車して聴いた。なんていい曲なんだろう。メロディーの優しさに思わず涙した。この曲は東日本大震災後に出来た曲だそうで、当時私は関東で被災した。あの時の事や今に至る事全て引っくるめてロックンロールはいいんだよと赦してくれた気がした。
そこからだ、過去のアルバムもさかのぼってちゃんと聴くようになったのは。

武道館は行けなかったが、武道館のお礼を兼ねた47都道府県ツアーには行った。ますます好きになった。歌詞にも向き合えるようになった。それは痛みを客観的に見れるようになったのもあると思う。


フラカンは変わらず、痛みを、苦しみを抱えて歌にしている。武道館が終わって、次のステージを期待されてプレッシャーもあるだろう。でも、その時々の年齢に合わせて生活に寄り添う音楽をフラカンは作ってくれる気がする。今のフラカンなら、気張らずに声は枯れても芯は熱いロックができると思う。


ということで、引き続きフラカン沼に浸かっています。