一途ではない私
前回は感傷的になりすぎた。このところ過去の話ばかりなので今の話を書こうと思う。
ブログに行き詰まるとフラカンファンのライブレポートばかり見てしまう「フラカン沼」に引き続き浸かっている。ファン暦が長い方が多くて、フラカンは愛されてると思う。
最近ファン暦20年の方のブログを読んで、その熱量に驚いた。過去のフライヤーやグッズもきちんと保管して、CD、DVD全部買って、ライブ遠征して、サイン会やファンクラブイベントで写真撮ってもらって。最初の頃ここまでするのはわかるけど、ずっと20年同じ事をしている。興味の移ろいやすい10代からファンになって20年追っかけ。私はここまで一つの物を愛した事があるのか?しかも、現在進行形で!
私はない。
エレカシや岡村靖幸や斎藤和義や早川義夫などなど好きなミュージシャンはいるけど全ての時代の曲を愛せているわけではないし、もし、本人達に会える機会があったとしても「ファンです」と言えるほど現在進行形で好きなのか?と考えて躊躇するだろう。
ミュージシャンは今の曲を評価して欲しいわけで、過去の曲に対する私の思い入れなんて、そりゃ表面上は「ありがとうございます」なんて言ってても内心「俺は過去の人じゃねぇぞ」と思っているだろう。(早川義夫さんは度々今の僕の歌を聞きに来て欲しいと言っている)
久々になりきり剛さんに会った。剛さんは今回マイクにスピーカー持参で運動公園の駐車場はまるでミニコンサート会場のようだった。聞くと、小さな地区の祭りや店の場合音響機材がない場合もあるから用意したんだと。「夏だから」から、と剛さんが歌った「夏祭り」の歌詞に出てくる線香花火のようにじわりじわりと夕陽が沈んで映像的な風景だった。
いつまでも こうして君と
よりそい 肩を並べて
来年の夏も せんこう花火
できると いいのにね 長渕剛「夏祭り」
このブログで報告している初体験は写真付きじゃないと説得力がないので、カウントしていない。が、写真をうっかり撮り忘れた初体験はけっこうあって、このままだと埋もれそうなのでざっと書く。
・ダリの絵を見る
「ポルト・リガロの聖母」。1950年作だから67年前の作品だが、実際に見ると時代を感じさせない。
かなり大きな絵で、海に吸い込まれそうだった。今回は北九州美術館と福岡市美術館の改装に伴った所蔵作品の展示会で、他にはバスキアやウォーホール、青木繁、岸田劉生などかなりのビックネームが観れてお得な展示会だったのだけど、一番の良かったのは初めて見た野見山暁治。でも私が観た作品がネットで見つからないので良さを伝えられない!なぜだ・・・。
厚塗りの白の背景に毒々しいピンクの塊にヒビのような赤い線が血のように広がって。人工的な肉がぼん。と端の方に置かれていたように見えた。それは私には時限爆弾みたいで。ウォーホールのプレスリーよりにもドキドキしたなぁ。
・座禅を組む
とある山奥の寺に迷い迷ってたどり着いたら誰もおらず、帰ろうかなと思ったところ、外人含む団体客が現れほっとする。この寺は月に一回座禅体験会を行っているのだ。人数が集まったところで、住職から座禅用の座布団を受け取り、座禅室へ向かう。目の前は壁。隣との距離が近い。「じゃあ、私はこれで。45分経ったらまた来ます」と去っていった後、イメージしていた長い棒でバチーン!と肩をたたかれるやつがなくてほっとした半面、どうしていいかわからない。「じっと考え事」というのはできないもんだなと気付く。なかなか意識が内面に向かっていかず、周りの音に敏感になってしまう。そしてこういう時に限って腹が鳴る。
「ぐるるるるぅぅぅ・・・・」
「ぐるぅぅ・・・・」
威嚇する犬か、駄々をこねる子どものように静かにしてほしい時に限って鳴き出す我が腹よ。静まれ。静まれよ・・・。
「ぐ、ぐ、きゅるるるるる・・・」
ああ!
もう、腹にしか意識が向かない!
私はギブアップし、外へ飛び出した。外で深呼吸すると先ほど全稼働していた胃腸は静かに動き出した。
「戻れそう?」お腹に手を当ててみる。
お腹は固い。無理だ。住職に謝って帰らせてもらうことにした。
とりあえず今日はそんなところで。
今日のBGM James Brown-Get up Offa That Thing
以前NHK-FMの「とことん〇〇」という番組の「とことん暑苦しい音楽」で紹介されていたのはこの曲ではなく、「hot pants」だったけど、こっちの方が好き。でもJBよりも熱いのはリトルリチャードさん。以前チャックベリーのドキュメンタリー(チャックベリー ヘイル!ヘイル!ロックンロール!)に登場したリチャードさんはめちゃくちゃテンション高くて、この人はこういうキャラを作っているのか、変な薬を飲んだのか、なぜ字幕がオネェ口調なのか、チャックベリーのメイクマネーの話よりそっちの方が頭に残っている。
これはカバーだけどね。