お蔵だしとご挨拶
呟かなかったつぶやき。
インターネットは掘れば掘るほど面白いけど、情報を浴び続けるうちに脳が麻痺する危うさがある。
通信制限がある方がいい。きりがない。
何物も妨げない人になりたい。相手への敬意と尊重を忘れない風通しのいい場所になりたい。
職場の忘年会で当たった水筒。
等身大の希望になりたい。等身大の希望が必要だ。
路地裏に隠れる猫みたいな写真が好き。なぎら健壱の「万年床」のジャケット写真のような。
長崎のお菓子「よりより」はなかなかにハードな噛みごたえのあるお菓子だ。
「いいね!」やリツイートはきっかけとしてはいいけど、大事なのは身の回りの生活レベルの変革なんだと思う。思うのとやるのでは雲泥の差がある。生活で磨り減って考える体力が残らない現状も知りつつも。
歪なままでもできる事はあるし、細やかな積み重ねが人の助けになったりする。喜びは一過性のもの。でもその瞬間が日々に積もり人生を創る。
「しょせん、幸せなんて自己申告」綾小路きみまろ
「根拠はなくても心の奥に自信を持つ。見えないように閉じ込めるのではなく、たとえ小さな自信でもいつでもやれるぞ!って前に押しだしてみる。そうすると誰かが共感してくれたりチャンスが巡ってきたりしてそこから応援してくれる人達と一緒に育てていく」香取慎吾
充実したコミュニケーションは時間が生きている。殺すように潰す、時間を投げ売りする時間労働とは違い、過ぎていくのが惜しい。
いつまでブルーハーツを聴いているのか。
いつまで寺山修司を読んでいるのか。
昭和に寄り掛かりすぎだ。
彼らはとっくに先を見ているのに。
ごちゃごちゃした空間は楽だ。物に意識を飛ばして空想していれば自分がぼやけるから。
でも、いつまでもそこにいると抜け出せない沼になる。今度はぼやけて見えなくなった自分の輪郭をなぞるようにエゴサーチだ。
つぶやき終わり。
12月30日。仕事納め。
早退きして主催するイベントの準備に取り掛かる。
深夜にせっせと折ったペーパーフラワー。
料理一品持ち寄りのおしゃべり会「だらだらしナイト」の準備、司会をした。初対面の人もいるので、他己紹介や○×クイズのコーナーを設けたり、踊ったり、歌ったり、頑張った。
舞う人々。会場のお店は歴史ある日本家屋。座敷があるので、親戚の家で宴会をしているような感じになる。
持ち寄りご飯会は料理がかぶらないように調整するのが少し大変だが、当日ハラハラしつつもワクワクする。昨日はオードブルの差し入れがあり、年末と正月が一気にきたような豪華なメニューだった。優秀賞はおでん!やっぱり冬は汁ものが欲しくなるねぇ。
実家に帰れない、実家がない人にとって年末は寂しさが身に染みて、しんどい。いのちの電話に電話をかけてくる人は年末年始は通常の5倍増えるらしい。そんな独り身の人達の居場所を作りたかったのと、大掃除をして出てくる読まなくなった本やCDやゲームソフトも、捨てたりゴミみたいな値段で売るより、必要な人に渡したいと思ったのがきっかけだ。
集まった品々は欲しい人に持って帰ってもらい、残った物はチャリボンというサイトを通して寄付する。(今回は普段から応援しているビックイシュー基金にした)
本50冊、CD23冊が集まった。「手をめぐる400字」は私がもらった。好みの内容は、役者さん、漫才師など喋ることを生業にしている人の確率が高かった。逆に作家さんの字は沢山急いで書かないといけないからか字が雑に見えてしまう。小沢昭一さんは声に出したくなる言葉選びの妙があり、さすがだよなぁと唸る。
今年の振り返りはじっくりやりたいので年末年始の喧噪が落ち着いた頃にしたいと思ってます。なんだかそわそわ落ち着かない時の言葉は自分の言葉じゃない気がして嫌なのです。
それではとりあえず、良いお年を。私はこれから除夜の鐘を叩くという初体験をしてきます。
皆さんに良いことがありますように。
読んで頂きありがとうございました。
懲りずにまた来年も覗いてくださいね。
ぐずに