貧乏なんて知りたくない「報告80日目」
彼の事を知ったのは七年前。
「この人熊本出身なんだよ」
と画家の人が教えてくれた。
彼の名はアートホーリーメン。
とがった絵を描く人だなぁとふーんと眺めてその以上深く観る事はなかったのだが、
つい最近彼の個展が開催されると知った時は観ないといけないような気分に駆られた。
丸尾末広と古屋兎丸と大友克洋を足してもっと混沌とした感じの作品達。
七年かけて完成させた「HORYMANと鯱」なんて気の遠くなるような緻密さでそりゃ七年かかるわと頷ける。
執念の力。ここまで私が好きでいられるものはあるだろうか。
覚悟のある突き抜けた世界がそこにはあった。
成瀬巳喜男監督の「放浪記」を観る。
女一人で生きていく事の困難さ、身に染みる。ふてぶてしくて、猫背で、でもかわいい。高峰秀子は桃井かおりのようなアンニュイな魅力で溢れている。働きづめの主人公芙美子は47歳で死ぬ。「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」ってなーんか悲しい。。。
このブログレビュー、とてもわかりやすいです。
変幻自在!高峰秀子の女優魂。映画「放浪記」について - 死んだ目でダブルピース
西原理恵子と重なるところもある。働かざる者食うべからず。でも、貧乏なんて知りたくないなぁ。
苦労は買いたくない。報われるかどうかなんてわからないし。
今の仕事を始めて4ヶ月が経った。理想と現実のギャップをどう埋めるか。会社のせい、上司のせい、利用者のせいにせず(そう言いたくもなるシビアな現実も受け止めつつ)できる事をやってなるだけ良い方向に持っていきたい。そのために何ができるか考える。
例えばバレンタインが近いので室内を華やかに飾りつけしたらどうかと写真を見せてアピールしてみた。「かわいいわね、でも面倒くさそう」と反応はいまいち。一緒にやりましょう!という空気にはならず、かといって面倒くさい、と何もしなければ現状はよくならないので「じゃあ私、やります」と言ったのは一週間前。
私の母は手先が器用だが、その血は全く引き継がれず、私を知る人はたいていその不器用さに唖然とする。だから本来こういった飾りつけは進んでしたいわけじゃない。
言ったからにはやらねばと取り掛かったのはいいが、細かいところを見落として作りなおす羽目になり、深夜自宅で仕事の持ち越し。
数人でやればあっという間の花作りも一人だとなかなか終わらない。単純作業は意味を見出したくなる。やりますって言っといてこんなしょぼい飾りで喜んでくれるかなとかこれって誰のためにやってんだ?自分の主張を通すためか?とかネガティブな考えが浮かぶが、やる事に意義がある。やってから考えよう、と手汗で花びらがシワシワになったり、破けたりしながら手を動かす。
やり出したらしょぼさが悔しくて、しょぼいなりに最大限背伸びはしたいと二日続けて内職をしようとした矢先、上司が二人休み、その分の仕事(1番私が苦手な内容)が私の元にやってくると知る。
軽くパニックになりながらも、翌日は野球部ばりに声を出してペコペコ謝り、仕事をこなし、ちゃんと飾りつけもした。(飾りつけは先輩達も手伝ってくれた。)これでよかったのかはわからないが、私は私の意思に見て見ぬふりはしなかった。そこは自分で自分を褒めようと思った。
初体験80 Instagram始めました。
今回から写真はInstagramに投稿したやつを使っています。写真撮影が下手な私はいまいちInstagramを使いこなせていません。あの、インスタ映えを意識する心理って、「楽しい事はみんなと共有したい」っていう無邪気さより、「幸せを演出したら幸せそうな人や事がやってくるだろう」という計算が強いように思うのは私だけでしょうか。
今日のBGM 大瀧詠一 「びんぼう」