あたりまえの明るさは少しまぶしすぎる「報告番外編」
表面は、とにかく、毎日を、過ごしているけど、
2年で、回復とか、もとに戻る、とかはありえない。
どこかが、ふるえている。
でも、こんな、大きな体験を、かいくぐりながら、
すごしたことが、違う強さと、なっていくであろうーと、
いう、進行形。
あたりまえの、明るさは、少し、まぶしすぎる。
熊本地震から2年経って、被災した知人が綴った言葉。
頭に入る言葉というより心に染みる言葉。ちょっと胸が締め付けるくらいの。
あたりまえはないのだ。違う強さを手に入れたいと思うのだ。
少しでも痛みを伝播させないように学習しようとしているんだ。
文化の渦を作っていきましょう、良くなっていきましょう。すべてを変えることはきっとできない、でも社会の定型を否定するわけではなく、不定形たちの居場所になる海域を広げていきましょう。いつかみんなが楽しく生きられる場所に辿り着くための、ささやかな一歩として。
— 借金玉 (@syakkin_dama) May 5, 2018
昭和は遠くなりにけり。
昨日よりも今日、今日よりも明日と少しでもなりたい自分、生きたいと思える未来に向けて行動し、成長したいと思っている。けれど
必要とされている、役に立っていると感じる事が減って虚しさを感じてしまう。
標語が嫌いだ。しらじらしい。
「感謝しなさい」と言われると圧力を感じる。したくなったらすればいい。
言わされた感謝なんて嬉しいのか?
子どもに頭ごなしに命令する大人にはなるまいと、標語を見る度思った。
よく、習字で「努力」とか「忍耐」とか書かせる先生も嫌い。
あんたの求める理想を押し付けるなと言いたい。
「昼寝」とか「食べ放題」とかの方が正直でいいじゃない。
本当にそう思っているの?と勘ぐってしまう私はあまのじゃくか?お前の心が濁っていると言われたらそれまでだけど、そう思わないと生きられなかったのです。
雨に濡れた植物が好き。
静かにみなぎる生命力。
帰宅途中にぐっとくる曲に巡り会う事がある。
最近だとMOROHA。前から存在は知っていたけど、言葉が心に入ってこなかった。
「革命」が聞こえてきたとき、心が揺さぶられすぎて冷静に運転できなくなりそうになった瞬間が何度かあった。
本当にいい曲、自分を支えてくれる曲って、言葉の力がある。
背筋が伸びる本気がビシバシ伝わってくる。
「お前は惰性で生きてないか」と殴られるようだ。だけどそれが説教とは違うのは
相手の拳から流れる血の匂いや生温かさや唾や汗が感じられるからだ。
MOROHAという名前そのものだ。相手だって痛いのだ。
MOROHAの曲を聴くと恥ずかしかった事、悔しかった事、負けたくないと思う気持ちがぐちゃぐちゃになって何かしたくなる。
何ができる。蛍光ペンはどこだ。焦って探し回っている。
しばらくblog更新できないかもしれないです。
初体験報告を始めて1年。ちょっと飽きがきているので一旦やめてみます。